家老屋敷(隠居屋敷)跡周辺地図
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城主の屋敷を除けば福山城で最も広い面積の屋敷でした。
水野氏2代藩主水野勝俊時代の絵図(正保城絵図)では隠居屋敷と記入され、初代水野勝成が引退後に住んだと思われます。以後、水野時代、阿部時代を通して筆頭家老の屋敷として用いられてきました。
廃城後間もなくに施設は撤去され、跡地は福山女学校(現在の広島県立福山葦陽高等学校)として使われましたが、1982年(昭和57年)に移転し現在は広島県立歴史博物館および公園となっています。
博物館建設の事前調査で屋敷の苑池、土塀の跡などが検出されましたが博物館の建設は変更されることなく遺構は破壊され、苑池の石組みは博物館の南に移設され、土塀の位置は石畳に目印が付けられました。