風呂屋(通説:御湯殿)

風呂屋(通説:御湯殿)周辺地図

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現在は御湯殿と呼ばれていますが、「風呂屋」が正確な呼称です。もっと厳密にいえば、この建物は「風呂」と「座敷」で構成されていて、風呂は建物の西側(本丸から見て右側)部分となります。

本来、「湯殿」とは湯に浸かるタイプ、「風呂」とは蒸気を浴びるタイプの施設で両者は異なるものでした。この施設は風呂なので湯殿ではなく、本丸にはこことは別に2ヶ所に「湯殿」が設けられていました。

ただ、近代までに風呂が湯に浸かる施設の意味で使われるようになり、おそらく風呂屋では銭湯のように思われるので「御湯殿」と呼ぶようになったと思われます。

伏見城から移築したと伝わりますが、座敷部分は伏見城の移築にしては簡易な意匠ですので移築は風呂部分のみかもしれません。

廃城後、建物は料亭として改変されながらも残され、1933年(昭和8年)には国宝(現在の国指定重要文化財相当)に指定されましたが、1945年(昭和20年)の福山空襲で焼失しました。

現在の建物は1966年(昭和41年)に木造で復元したとしていますが、復元されたのは座敷部分のみで名称の中核である風呂部分は外観・内部とも復元されていません。